・お伊勢参りとスピード早餅つき 2・1・11ももちゃんの古代史 

伊勢参りとスピード早餅つき この画像はネットから無断使用でごめんなさい!ご連絡ください 2・1・11ももちゃんの古代史

・お伊勢さんのお参りではお陰横丁菓子屋の前などでよく早餅つき(スピード餅つき)を見かけた。お正月縁起のお餅のルーツは!とこれまた「生活科学の目で」出土品から探してみた。というより私の家は行事として三が日お餅を口にしてはいけなかった。父はこの上なく餅好きだったので、さぞ我が家の風習はつらかっただろうと察するが、それも弟の代で影も形も残っていないようだ。さてこの不思議を疑問に思いながら忘れていたが、松本市中山地域の発掘報告書で遺跡出土米が白く濁った米と透けたコメの比較写真を見た。モチ米は今同様一回り小さいのだが、確かに中山の和泉地域では泉が湧き「泉の湧き水」は通常の川の水より3-5℃位は低温だ。そしてモチ米は低温地域で出来がいい。新潟のコシヒカリも推定では新潟は少し低温が多くてモチ米的な少し寒冷水温で育つためにおいしいコメができると私は推定している。
・正月に餅を食べないのは貧乏だからとの通説のようだが、我が家は地域では旧家の農家であったので、貧乏でも餅米は作れる。通説は後で理由付けしただけだろうと思う。さて問題は縄文中期後半の百瀬式土器の時代に、この土器と水稲米が長野県の北の果ての寒い飯山地域で出土している事から、縄文時代水稲稲作を長野県に広げた文化だったと考えていた。だから我が家の先祖は直ぐ近くの地域のモチ米を敵文化とみて、目出度い新霊の時に敵のモチを粳米の文化の我が家では意地でもモチは三が日は口にしてはいけなかったのだと推定した。
・さらに松本中山の和泉地域に「お多賀様」という古い神社があり、地域ではこの神社の祭りに「寿命モチ」と言って「伊勢の寿命モチ」に類似の餅が名産で、今に伝えている。それに伊勢神宮の神宝に機織り機があって「お多賀様の神宝も機織り機で、其の上「お伊勢はお多賀の子でござる」と地域の古謡で歌い継がれている。埼玉県でも早餅つきが神社に奉納されている。面白いですね。餅つき文化が伝播している事が分かります。

・これだけ揃ったらお餅のルーツは松本市中山和泉地域だと言える。それも縄文後期初めには「お餅」が人々の前にお目見えし「お餅つき」が弥生銅鐸の絵のように始まっていたと言えます。以上お正月のお餅談義でした。!・・・・・。
・お伊勢さんの近くの猿田彦神社では「お供え餅は特大」で、神主さんたち10人位で神輿に乗せて運んで飾るの知ってますか?鏡開きには振舞われるとか!間に合うかもね!

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お伊勢の早餅つき・銅鐸の餅つき図・モチ米